初めて私がもち米を食べたのは10歳頃でした。当時は、もち米は高価で貴重なものとされており、もち料理はとてもうれしいご馳走でした。それでも季節の節目には必ずといっていいほどもち米料理を食べ、もち米は私の生活になくてはならないものでしたね。

正月は家族みんなで朝早くから7〜8臼ほどの餅をつきました。たくさんのもち米を臼と杵でつき、ついた餅を丸めて並べました。重労働でしたが、そのお餅で作る餡こもち、納豆もち、きなこもち、お汁粉そしてお雑煮などはとてもおいしく、大事なご馳走でした。お正月に欠かせない鏡餅もつくってお供えしました。3月のお節句では、菱餅を作りました。今はお砂糖で作られた菱餅がたくさん出回っていますが、我が家では菱餅はもち米で作るのが当たり前でしたよ。5月のお節句では、よもぎ餅を作って食べました。よもぎは近所の川の土手にあるものを採っていました。時期になると近所にたくさんのよもぎが生えてきたので、若いよもぎを選び、もち米とともに蒸し、よもぎ餅を作っておいしく食べていました。5月の節句に食べるよもぎ餅は毎年とても楽しみで、一度も欠かしたことはありません。それから、春のお彼岸にはぼた餅、秋のお彼岸にはおはぎを作って食べましたね。秋には枝豆をすりつぶして、ずんだ餅も作るんですよ。これはとてもおいしくて、私の大好きなもち米料理の一つです。

昔に比べて、最近はお餅を食べる日本人が減ってしまったように思います。今はパンやケーキなどが簡単に手に入り、そちらを口にする機会がとても多くなっているからでしょう。もち米を食べる人が少なくなり、自然ともち米料理を作る人も減ってしまいました。しかし、もち米は日本人にとってなくてはならないものだと思います。もち米は力の源であり、日本人にとって大事な生命線だからです。また、もち米は多くの人が試行錯誤しながら作り上げた努力の結晶でもあります。うるち米ともち米の選別など、もち米作りでは多くの手間がかかっています。私ももち米作りの手伝いをしていましたが、当時は機械も少なく、ほとんど手作業で大変苦労しました。それでも、奉公人さんや出面さんといつも一緒に助け合い、そして楽しみながらもち米作りをしていました。作業場では笑顔が絶えませんでしたね。物静かなタイプだった私も、みんなで仕事をしているうちにいつの間にか話し好きになっていました。みんなが仕事を楽しめるように歌を歌ったりもしましたよ。楽しくて、仕事を終えたくない日もありました。今でも当時の奉公人さんや出面さんとは家族のようなお付き合いをしています。もち米のおかげで本当にたくさんの人と素晴らしい出会いをすることができました。和の大切さも実感しましたね。

私や家族が健康で生活できているのは、やっぱりもち米のお陰だと思っています。もっともち米を食べる機会が増えれば、そのおいしさや魅力にも気づくでしょう。もち米は日本人にとっては切っても切り離せない存在です。もち米を嫌わないでしっかり食べ、日本人の食文化をこれからも残してほしいと強く願っています。

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