昭和7年、私の父が今藤浅太郎商店を始めました。私は父の後を継ぐ予定ではなかったのですが、父が体調を崩したので東京から風連に戻り、父親の手伝いを始めました。私が正式に仕事を継いだのは昭和53年頃です。当時は、私のところを含めて個人の米穀商は、風連で4店ありました。しかし、ここ1年くらいで他の3店は営業をやめてしまい、今では私の店だけになってしまいました。
私の店では、年間7,000~8,000俵のお米を取り扱い、うるち米ともち米の比率は1対9です。農家の方々は、乾燥や籾摺りなどすべての工程を終えた状態のお米を私の店に持ってきます。農家が持ってきたお米を検査しますが、以前は検査用のカルトンが黒く、お米の色調を識別することが難しかったのです。現在は白いカルトンで検査しますので、着色米の識別が以前よりもずいぶん楽になりました。お米の検査以外にも農家に肥料や農薬の説明をしたり、お米についての指導も行っています。私の仕事は10月からが一番忙しく、12月くらいまで続きます。現在、私のところでは30kgとフレコン袋(注)の二種類を取り扱っています。農家も高齢化が進み、個人の農作業ができなくなってしまうのではないか心配です。
米穀商をやっているといろいろな経験をします。私のところは年中無休で、農家の皆さんがお茶を飲んだり、去年の反省や今年の営農方針を話し合ったりします。以前、お米と農薬との関わりを説明するために、東京に行ったことがありました。無農薬や低農薬で米作りをする大変さを、東京の人たちにも理解してもらいました。
風連に4店あった米穀商も、今では私のところだけになってしまいました。以前は米穀商同士で、互いに相談をしたり競ったりしていました。今ではそういう相手もいなくなり、少し寂しい気もします。それでも私の店を利用してくださる農家の方がいる限り、仕事は続けたいと思っています。
(注)フレコン袋:正式名称はフレキシブルコンテナバッグ。米等の荷物を保管・ 運搬するための袋状の包材。