日本一のもち米の里となった名寄ですが、決して順調な道程だったわけではありません。 北限の稲作地帯という地理的な宿命、苦労して収穫した米への美味しくないという評価、そして減反政策。 しかし、そうした逆境から生まれたもち米は、まちの力となり、まちの象徴となり、まちの宝物になっていきました。